ジゴロなんか!【1】基礎編

ジゴロ マニュアル 基礎編

この記事は僕が書いたものではありません。

「ジゴロなんか!Gigolette Philosophy」
という2010年頃まで存在したサイトのキャッシュになります。
現役のジゴロ(ヒモ)の方が書いています。

非常に優れた文章だったので、オフライン時でも読めるようにコピペしておいたのですが、ふと気づいた時にはサイトはなくなっていました。
僕だけが読めるというのはあまりにも贅沢なので、共有したいと思います。

PS:
書いたご本人様
もしも不快に感じた場合は メールフォーム よりご連絡くださいませ。
即刻削除させていただきます。

~ここからです~

まえがき

ジゴロを男の哲学だなんて妄想めいた表現をしたが、ジゴロの存在や意義について想いを巡らしてみると、やはりそこには「ジゴロの法則」といえる哲学が存在している。そこでオレはこれらの発想や思考を総じて「ジゴロ哲学」と命名してみた。

一般的な恋愛にも哲学なるものが存在するなら、それはジゴロ哲学とは似て非なるものだ。恋愛哲学ではセオリーとされている言動でもジゴロ哲学においてはタブーになる場合がある。逆に一般的にタブー視されている言動がジゴロのセオリーだったりもする。

「あなたはジゴロなんかじゃない」
この女のセリフに込められた真実に迫るには、これらジゴロ哲学の基幹を成す精神論への理解は必要不可欠だろう。その上で独創的なアイディアが求められるわけだが、実践における具体的なアドバイスなどは応用編や実践編で紹介するとして、基礎編ではまず「ジゴロとは何なのか」その法則や禁則などの基本概念を紹介してみよう。

【1】いま彼氏いるの?と聞くな

これほど不毛でサブい話題はない。このネタふりに対する答えはイエスかノーのふたつ。イエスならそれで終了。ノーの場合も真偽のほどはわからない。彼氏ではないが好きな人がいるのかもしれないし、告られて気持ちが揺れ動いているのかもしれない。いずれにせよ、その方向で掘り下げて話しが広がったところで、これはジゴロの仕事ではない。

彼氏や好きな人がいるかいないかなんて、ジゴロが仕事をする上で何の関係もないステータスだ。その彼氏が金持ちなら自分にとっての孫請け業者くらいに思っていればいい。孫請けの生み出した利益が、下請けである彼女を経由して元請けである自分に流れてくるだけの話しだ。元請けは、下請け業者が孫請けを使うか否かなどには、まったく興味がない。発注した仕事をキッチリこなしてくれれば、それでいい。

つまり、相談を受けた場合を除いては、孫請けの存在に興味を示す必要などなく、自らその話題を切り出すなどもってのほかだ。重要なのは彼女との信頼関係をしっかりと構築することである。彼女にジゴレットとしての才能があるなら、黙っていても満足のいく結果を出してくれるだろう。

よく「私いま彼氏いないんだ」という女がいる。これに反応する必要はない。お前に男がいるかどうかには興味がない、くらいの勢いでちょうどいいだろう。「じゃあオレが彼氏になってやるよ」という展開を女は待っている。そのコトバで安心感、あるいは満足感を得ようとする。しかし、その期待は裏切られるためにある。こんなところでサービスを浪費してる場合ではない。そんなことを言わなくても女をリードしていけるだけのパワーやオーラを求められるのがジゴロなのである。

かといって、頑なに彼氏の話題を避けまくっていても不自然である。「こんなガキみたいで自己中なヤツは最低」みたいな話しが出た場合、その話しの登場人物が彼氏や元彼という場合がある。そういう時はさりげなく「なに?ソレって彼氏のこと?」くらいにツッコミを入れておこう。返答はわかりきっている。友達か元彼のどちらかである。

この返答をさせることによって、話題に出た人物が現在進行形で付き合っている男だったとしても、自分と女との二人の会話の中では「過去の男」あるいは「本命ではない男」にしてしまうことができる。この小さなウソは障害となりプレッシャーともなる。それを乗り越えるために使うパワーは、いずれ恋愛感情に変化する火種となるだろう。

【2】愛してるよと言うな

愛してるよ、なんてセリフ恥ずかしくて言えないサ。よくあんなキザでジゴロみたいなセリフが言えるもんだヨ。これはトンでもない勘違いである。切り口にもよるが、恋愛がテーマのドラマや映画などでは主人公が「愛してるよ」と言った瞬間にストーリーはエンディングへと突入していく。視聴者を釘付けにしているのはこの最後のセリフを言ってしまうまでのプロセスにワクワクしてるからである。時にはイライラさせられたりもするだろう。この擬似恋愛が体験できるからこそ感情移入してしまえるのである。

主人公が「愛してる」と告白した瞬間にとてつもなくシアワセな気持ちに包まれて、今までとはまったく別な次元で新しいストーリーがスタートしてしまっている。このシアワセな気持ちは「これでもう死ぬまで永久にこの相手は自分のもの」みたいな安心感が根拠となっている。しかし、ジゴロにはこのテンションを維持させ続けることはできない。なぜなら、すでに舞台は次のステージに移ってしまっているからだ。もうそこはジゴロの出る幕ではないのだ。ジゴロが華々しく活躍できる舞台は、最後のセリフを言ってしまうまでのプロセスにある。そして、ジゴロであり続けるという意志がある以上、自らエンディングを迎えてしまうようなセリフを言うものではない。

【3】真剣に愛せ

相手に惚れるな、愛してると言うな、などの前言との矛盾を感じるかもしれないが、心の底から相手を愛することができなければジゴロ失格である。そもそもジゴロに限らず「愛してる」などと軽々しく言うものではない。軽~くラヴ&ピースなキャラを演じるために「愛してるよ~」というのなら関西商人の「儲かってる?」みたいなノリということでまだいいが、本域で「愛してる」を連発するのはヤバイでしょ?お前ホントに愛してるのかと問い詰めたくもなる。乱交の時代は前世紀末に終焉した。今世紀、これから迎えようとしている純愛社会において、愛の百円ショップなど必要とされないだろう。

ここで人間の永遠のテーマのひとつである「愛とはなにか?」という壁が立ちはだかることになる。これを避けて通ることはできない。しかし、このテーマについてはどんなに言葉を尽くしたところで、万人を納得させることなどできないだろう。ここで、大恋愛と大失恋を経験しておけ、につながるわけである。自ら体験して導き出した答えほど確かなものはない。もし、まだ誰にも真剣に「愛してる」と言った経験が無いのであれば、是非そのセリフを言える出会いをしてほしい。できることなら、その大恋愛の相手と生涯を共にして天寿をまっとうしてほしいと心から願っている。大失恋の経験など、知らないで済むにこしたことはないからだ。

さて、人はなぜ「愛してる」と言うのだろうか。相手に求められて、期待に応えるため、必要に迫られて、自分の気持ちを伝えたくて、など色々理由はあるが、どうして「愛してる」なのか。そこには「ずっと一緒にいようね」「どこにも行かないでね」「元気出してガンバレ」「車には気をつけて」「風邪ひくなよ」等々その他わずかな時間では表現しきれないたくさんの気持ちが集約されている。それらをひとつひとつ具体的に説明しなくても「愛してる」と言うだけで全部の気持ちを伝えることができる。「愛してる」というコトバは、実に便利で合理的なコトバなのである。そして、そのことが落とし穴でもあるという事実に気付いていないヤツがあまりにも多すぎる。

「愛してる」というコトバはトランプに喩えればジョーカーだ。あらゆる場面で使うことができる魔法のカードだが、一度使ってしまえば、あとは手持ちのカードで勝負するしかなくなる。だからジゴロは最後までジョーカーを使わない。持っているだけで有利に運べることを知っているからだ。そしてジョーカーを使わずに勝つ術も知っている。つまりジゴロにとってのジョーカーは最後の切り札ではない。それを持っているかもしれない、と相手に悟らせることがジョーカーの真価だと知っているだけだ。

ところが一般的な恋愛では何枚もジョーカーが切られる。みんな「愛してる」って軽々しく言いすぎ。ジョーカーはあくまでも代用品に過ぎないということに気付いていないヤツがどれほど多いかということだ。普通に結婚を望むのであれば、それこそラブストーリーのクライマックスのようにドラマティックに「愛してる」とジョーカーを切って劇的なエンディングを迎えるためのアイテムとして使えば効果も絶大だろう。そのためにはジョーカー以外の手持ちのカードで勝つための準備を着々と進めなければならないのに、いきなりジョーカーで勝負に出るヤツがいる。…で、そのあとどうすんの?と思ってしまう。

最初はインパクトのあった「愛してる」というコトバも会うたびに連発されてしまうと「おはよう」と大差ない挨拶になってしまう。本来は色々な気持ちを代弁してくれる効果があったはずでも、そのうち一体どの気持ちを代弁してるのか曖昧になってくる。ここに気持ちのズレが生じる。互いが自分に都合よく「愛してる」を解釈しはじめるのだ。これが落とし穴なのである。

では「愛してる」と言わずに真剣に愛するとはどういうことなのか。それは相手の気持ちを理解するためのあらゆる努力、研究を怠らない、ということに他ならない。「愛してる」は自分の気持ちを相手に伝える手段にすぎず、相手の気持ちを理解するという目的を達成するのに「愛してる」と言う必要などない。相手の気持ちを理解するのと相手の期待に応えるのとではまったく意味が違う。相手の期待に応えるために、相手の気持ちをちゃんと理解しておく必要があるのである。ここを混同してはいけない。

相手の期待に応えたつもりが、相手の気持ちをちゃんと理解できていなかったために裏目に出てしまった、などという失敗はよくあることだが、ジゴロにそれは許されない。真剣に愛するとは、命がけで女の気持ちを理解するために努力する、ということだ。そして、それがちゃんとできていれば、ジョーカーなど使わなくとも勝てるのである。

【4】愛してるを超えろ

ほとんどの女は「愛してる」という一言だけを待っている。それさえあれば、他の部分で少しくらい雑な仕事をしていてもゴリ押しで何とかなるという一面があるのは事実だ。しかしこれはジゴロ哲学の信念から言えば、明らかに手抜き工事だ。雑な仕事は許されない。他の誰にジョーカーを切られてもビクともしないだけの耐震工事を施工しておかなければならない。そのためにもジゴロはジョーカーを切ってはならないのだ。「愛してる」などという誰にでも言える単純で安直な割には絶大な効果を発揮する反則技に匹敵するような魔法を使わずに、女を満足させリードしていけるだけの魅力やパワーやオーラがジゴロには求められるのである。

では「私のことをどう思ってる?」という女からの究極の問いかけにはどう答えればいいのか。普通に考えればこの場面を最高に演出するセリフは「愛してるよ」以外には無いだろう。しかし、これは代用品であると同時に最後のセリフである。ジゴロ主演のストーリーをまだまだ引っ張るには「愛してる」を超える、あるいは「愛してる」に匹敵するリアクションが必要不可欠だ。その場しのぎのアドリブでは魔法のコトバ「愛してる」を超えることなど到底不可能だろう。

女がこのセリフを言うからには、既に二人には歴史が存在している。それをただ突っ走ってきただけのウサギにはアドリブを言えるだけの情報も無ければレパートリーの蓄積だって無い。着実に愛を育んできたカメには、二人の歩みをひとつひとつ消化してきた実績がある。この場面で「愛してる」を超えるためにも出会った時からの女の言動と気持ちが変化していく過程を観察し分析するというカメのように地道な努力が必要なのである。

カメの歩みで積み重ねた二人の歴史とそれを分析して蓄積した情報があるなら、それらの財産をこの場面でどのように活用すれば効果を発揮するのか。質問は「私のことをどう思ってる?」である。頭をフル回転させて蓄積してある情報を総動員し、ひとつでも多くの長所を具体的に指摘して「お前のそういうところが好きだ」と言えばいい。「愛してる」ではなく「好きだ」である。ここで注意がある。漠然と「お前が好きだ」などという曖昧な表現は、決して用いてはならない。この表現方法は「愛してる」と同義でありソフトな表現というだけの代用品にすぎない。どこがどういう風に好きなのか、これをいくつも具体的に言えないようではカメの努力を怠ってきた証拠である。反省しよう。

もっとも究極といえるのが「じゃあ私のこと愛してる?」という問いかけだ。パーツパーツを褒めてはくれるが、それらパーツを組み立てた全体を愛しているのか?ここは是非ともちゃんとした言葉で確認をしたいのが女心というものだろう。しかし、ここまでくれば女にも自信がある。ここまで褒めておいて、まさか「愛してない」なんてオチは無いだろう、という自信だ。だから言葉による最終確認というよりは単純に「愛してる」という耳障りのいい甘美なセリフを聞いて心地よくなりたいだけなのだ。予期せぬ相手から突然「愛してる」と言われてもビックリするだけだ。相手が本当に愛してくれてるのかどうかもわからないし、実感だって無い。少しはいい気分を味わえるかもしれないが、感動は薄いだろう。愛を育んできた歴史があった上で「愛してる」という言葉がキた時にシアワセな気分になるのである。女はそれを期待しているだけなのだ。

しかし、その気持ちよさは最初だけである。ここで律儀にその期待に応えてしまったら、もうジゴロとしては打つ手が無い。褒めるだけ褒めちぎってジョーカーの存在をアピールするだけで十分である。「私のこと愛してる?」という問いには「わからないよ」と答えるのが正解だ。「さあ?どっちでしょう?」という意地悪なリアクションだがこれは決してサブくない。多くの女が「照れなくていいから言ってみ、まったく肝心なところで女心がわかってないなぁ」的なことを言う。ここはひとつ「照れ屋さん」というキャラを演じておくのがベターだろう。

ここまでくればシナリオ通りの展開だ。もちろん心からスッキリと納得がいくわけではない。何かが引っかかっていて気持ちが悪い。この状態がジゴロ的にはベストコンディションなのだ。女は感じる。あくまでも希望的な推測の域は出ないが「この男はジョーカーを持っている」と。そしてその手応えからそれなりに安心感や満足感が得られシアワセな気分になれる。

しかし最後のセリフを聞いていないので絶対の確信とはならない。そこに緊張感が残るのだ。確実にドラマティックなクライマックスを迎えているはずなのに、なかなかエンディングに突入しない。いつまで経っても次の舞台がスタートしない。適度な緊張感が維持され続ける。この絶妙なバランスを保ち続けることこそ「愛してる」を超えるということである。

【5】恋愛中毒になるな

「愛してる」と言わずに女を愛するのは、何もジゴロだけの特権ではない。言ってみれば実感できるが、その女に対して初めて「愛してる」と言って「私も」と互いの愛を確認し合った瞬間は、永遠に時間が止まってしまうのではないか、と錯覚するほど熱い衝撃が心の奥底からこみあげてくる。互いの脳細胞が融合する瞬間だ。単なる肉体の交わりなどを超越した筆舌に尽くしがたい快感に襲われるだろう。こんな体験をしてしまったら後がもたない。セックスなんか、どーでもよくなってしまう。二人きりの世界で「愛してる」「オレも」「愛してる」「私も」をサルみたいに延々と繰り返していれば、他には何もいらない。恋愛中毒である。

しかし、いずれ現実に引き戻される時がくる。二人だけの夢の時間など、アッという間に過ぎ去ってしまう。ここで一般的な感覚を持った二人なら現実に引き戻されても大切に愛を育てていき、共にお婆ちゃんとお爺ちゃんになっても仲睦まじく永遠の愛を貫こうとするだろう。しかし、現実にはなかなか理想の愛を貫くことができない。なぜなら初めて「愛してる」と言った時を超える感動になかなか出会えないからだ。時の流れは残酷にも、その感動を色褪せた思い出へと変化させてしまう。

あの瞬間のテンションを維持し続けることは、恋愛のプロフェッショナルを自負するジゴロといえど困難きわまりないのである。それを一般的な感覚の二人に求めるのは酷だろう。それなら「愛してる」と言わずに愛し合うジゴロ的な愛しかたの方が実用的なのではないだろうか。ただ「照れ屋さん」を演じるだけである。こんなに簡単なことはないだろう。

【6】オレはジゴロだと白状しろ

ジゴロって何だ?一般的には辞書で紹介されてる意味そのもので「サイテーのクズ野郎」と表現して差し支えない。普通に考えれば、そんな男と付き合う女なんていないはずだが、辞書にも掲載されてるくらいなのだからジゴロはこの世に存在するし、女がいないとジゴロは成立しないので付き合っている女も存在する。

一般的なイメージである「サイテーのクズ野郎」というレッテルを凌駕するだけの魅力がジゴロにはあるということだ。もっとも、辞書には掲載されていないジゴロの魅力的な部分の情報も世間一般には広まっているので、その男と付き合うか否かを最終的に決断するのは各自の判断に委ねられているのが実情である。殺人犯と獄中結婚する女がいるくらいなので、ジゴロというレッテルだけでは避ける理由として成立しないのである。

では、その男がジゴロか否かは誰が評価するものなのか。通常その人物の評価は本人がするものではない。本人がそのつもりでも結果を出せなければそれは単なる勘違い野郎にすぎない。しかし結果を出すために、自らの評価をアピールするという手法があるのだ。最初はハッタリでもアピールし続けることによって周囲の評価をも動かし本物に化けてしまうのである。これは芸能界では定石だ。誰もそんなこと言ってないのに所属プロダクションが自ら「カリスマ女性アーティスト」と宣言してメディアで宣伝しまくれば、その女性アーティストは本当にカリスマになってしまう。この現象はジゴロでも同様である。

しかし「オレはジゴロだ」などと自ら打ち明けてしまって警戒されないだろうか。まったく無名の新人がデビューするのに、天才だのカリスマだのと宣伝されてもピンとこないのと同じで、初対面の相手に「はじめましてジゴロですヨロシク」というわけにはいかない。ある程度の認知度があって天才だのカリスマだのと宣伝されれば「やっぱりそうだったのか」と受け入れやすい様に、ジゴロの場合も切り出すタイミングは重要なポイントである。もちろん最初からカマしていくやり方もあるのだが、そういうノリで押すならホストの方が適しているだろう。出会いがホストと客なら話しが早いのである。

自分がジゴロであると打ち明ける理由は色々ある。ジゴロに対するレッテルは人それぞれだろうが「女に貢がせる男」という点においては一致した見解だろう。「オレはジゴロだ」と打ち明けるウラには「だから貢いでネ」というメッセージが隠されている。「なんで私が稼いだ金を渡さなきゃならないの?」という問いかけにも「オレはジゴロだから」の一言で済む。女に貢がせるからジゴロなのか、ジゴロだから女は貢がなければならないのか、ニワトリが先かタマゴが先かみたいな話しだ。

いずれにせよ「オレはジゴロだ」が金品を引く際に有効な免罪符になるのである。さらに、ジゴロは1人の女が独占することはできない。「オレはジゴロだ」と打ち明けるウラには「オレに貢ぐ女はお前だけじゃないよ」というメッセージも隠されているのである。

さて、そんなに都合よく「ジゴロだから」などと免罪符を使いまくっても平気なのだろうか。普通の感覚で考えたら、あまりにも女をバカにし過ぎている。しかし、普通の男にはこの免罪符を使う資格が無い。カメの歩みで歴史を積み重ね、命がけで女の気持ちを理解するために努力し、目先の快楽である恋愛中毒に溺れず「愛してる」を超越した信頼関係を築いてきたからこそ使える免罪符なのだ。だからこそ「オレはジゴロだ」なのである。

【7】借金とギャンブルはするな

ジゴロに限らず、借金やギャンブルなど人としてするものではない。起業などの明確なビジョンがあって融資を受けるというなら話しは別だが、単なる遊ぶ金欲しさや贅沢品を購入する目的で借金などしてはならない。こういう奴がジゴロになっても、誰も幸せはなれないからだ。また、プロ級の腕前でもない限りはギャンブルもやめておけ。禁止はしないが、趣味として許される範囲内にとどめておいた方がいいだろう。毎日パチスロに明け暮れて、十万や二十万のはした金で勝っただの負けただの一喜一憂しているジゴロなど、哀れで見ていられない。そんなヤツに明るい未来は無いだろう。

ここまでは一般人に対する警告の理由だ。ジゴロとして上記の行為を禁じるには、当然もっと別の理由がある。女達はただ「好き」という理由だけで男に貢いでいるわけではない。自分自身の未来の幸せのためにジゴロに投資しているのだ。女がどんな思いをして金を稼いでいるのか想像するといい。楽して金が儲かる仕事なんて無い。精神的に変になる一歩手前のギリギリの崖っぷちで、死ぬ思いで稼いでいるのだ。

そこまでしないと、そんなに稼げるわけがない。男の視点からだと、なかなかそんな風には見えないが、重要なのは「女がどういう気持ちでいるのか」それを理解してあげることなのだ。どんなに楽そうに見える仕事でも女本人が楽だと感じていなければ、それは楽に稼いでいることにはならない。ここを勘違いしてはいけない。

そんな思いで稼いだ金が、単なる遊びやギャンブルで消えてしまったら、女はどんなに悲しいだろう。それでも、たった一瞬でも好きな男が喜ぶ顔を見れた、というほんのささやかでちっぽけな幸せを感じられたことで気持ちを納得させようと努力する。しかしそんなものはいつまでも続かない。すぐに限界がくるのである。一日分の稼ぎがアッという間に呑み込まれていいわけがない。女の気持ちをちゃんと理解してあげられる想像力があるならば、そんなバカげた金の遣い方などできないはずである。

逆に女がギャンブル好きという場合もある。2人揃ってギャンブル好きならどうしようもないバカップルだと思うが、それで2人が幸せならそれもいいだろう。ただし女のギャンブル好きをやめさせたいのであれば、金の遣い方というものをキッチリ教え込まなければならない。そのためには自らハマっていたのでは、示しがつかない。

「自分で稼いだ金をどう遣おうが勝手でしょ」という女をジゴロ的手腕で黙らせる前に「オレはギャンブルがキライだ」くらいの勢いがなければ、女のギャンブルを禁止する説得力に欠けるだろう。好きなヤツはギャンブルの内に入らないと言うだろうが、競馬ならダービーと有馬記念、宝クジならサマージャンボと年末ジャンボ程度で我慢させよう。習慣的に続けたいなら、適切な限度額を設定して週一回のナンバーズやロトで我慢させるとかね。

【8】夢を共有しろ

さて、女が稼いできた金に対する主導権である。出会いがホストと客なら最初から主導権はジゴロにある。バカげた金の遣い方さえしなければ、惰性でその関係を持続させるのは簡単なことだ。では、どのような金の遣い方ならバカげていないのか。人が金を遣うには動機が必要である。ただ「好き」というだけでは金を支払う動機としては弱い。貢ぐという行為は、いわば献金ということだがボランティアな募金箱に献金する時ですらちゃんと動機があるのだ。

ボランティアだから直接的な見返りを期待する行為ではないが「困っている人たちが少しでもシアワセになれますように」という願いを込める。これは立派な動機である。つまり貢ぐとは無条件な献金ではないのだ。ちゃんと条件がある。その条件がクリアされますように、という期待が貢ぐ動機なのである。

とはいっても、具体的な条件が詳細に設定されているわけではない。自分自身の未来のシアワセなどという漠然としたイメージだ。そもそも夢を実現するための具体的な計画を持ち合わせているような自立心の強い女ならば、ジゴロに投資するよりも自分自身に投資するだろう。貢いでしまう体質の女が期待しているのは「自分自身の未来のシアワセ」という漠然としたイメージであり、それを具現化してあげるのはジゴロの仕事である。ジゴロには未来に対する具体的なビジョンが求められるのだ。女が賛同できる夢が必要なのである。

すなわち、ジゴロ自身が漠然としたシアワセを求めて、毎日を何となくギャンブルなどに時間を浪費して過ごすわけにはいかない。具体的で現実的な夢に向かって突き進み、精力的に活動する姿を見せなければならない。芸人やミュージシャンや俳優を目指すなどの夢は一般的な感覚なら、それこそ「何を夢みたいなことを」と一刀両断されそうだが、貢ぐ体質の女と共有する夢としては、このくらいでちょうどいいかもしれない。

自分の店を持つとか起業して会社を作るなどでもいい。まずは人を説得する前に、自分自身がその夢に賭ける覚悟を決めなければ話しにならない。これは何も金品を引くための方便でも何でもない。ホンキで取り組める夢を持てないヤツに、ジゴロをやる資格はない。ジゴロとは、夢を実現するための資金を工面する「単なる手段」にすぎないからだ。毎日贅沢して女と遊んで暮らすために一流のジゴロになる、なんて発想では三流のジゴロにすらなれないだろう。

明確なビジョンを持ったら次は説得だ。その夢がいかに素晴らしいことかを熱く語れ。そして「オレは絶対に成功してみせる」と自信に満ちた強い口調で断言してしまえ。そこまで言われれば、女もその気になってくる。もっとも、女以上に自分自身がその気になっていなければ熱意は伝わらない。念を押すが、これは金品を引くための方便ではないのだ。そこに真剣な熱い思いがなければ、絶対に女の心を揺り動かすことなどできないだろう。

女は、成功したらどうなるのかをイメージする。そして「成功すればシアワセな未来が待っている」という結論にたどりつく。不安材料は「本当にこんな夢みたいな話しが実現可能なのか」の一点のみだ。「でも成功すればシアワセになれる」という期待感とのハザマで揺れ動いている。そして最後は「この男を信じて賭けてみよう」という結論にたどりつくのである。何しろ今までの人生で、こんなにスリリングでワクワクさせられる未来イメージに接したことなどないのだ。それを目の前の男が「絶対に成功させる」と断言している。「賭けてみる価値はある」と判断して当然だろう。

女の気持ちがここまで傾いたなら、最後のひと押しだ。「これを成功させるには、お前の協力が必要だ」と迫る。女は自分が必要とされている事実に感動する。そして共同作業のための役割分担を提案する。「オレにはアイディアとそれを実行するための行動力がある。必要なのは時間と金だ。」この決めゼリフが最も重要なポイントだ。つまり「オレには目先の金を稼ぐために安い給料で働いている時間なんかないんだ」につながる布石である。早い話し「お前が稼いでくれ」と言っているわけだ。これを「夢を実現させるための共同作業における役割分担」として提案するのである。最後にひと言「一緒にがんばろう!」これで決まりだ。

【9】ずっと一緒にいようと言うな

2人は死ぬまで永遠に一緒だ、という期待をさせてはいけない。いつ別れが訪れるかわからない…という緊張感がジゴロには必要だ。実はこれはジゴロでなくても同じなのである。夢に関しては「絶対に成功させる」と断言してもいい。絶対に…と言ってみたところで、それは決意の表明であり、実際のところ失敗する可能性があることくらい言わなくてもわかっている。だからこれをわざわざ言う必要は無い。

しかし、ずっと一緒にいるか否かは気持ちの問題なので、その気さえあれば一緒にいられるはずである。しかし実際は未来の自分たちの気持ちなんて、わかるわけがない。なのに「ずっと一緒にいよう」なんて言ってしまうのは、女に対して無責任な発言である。しかし「一緒にいたい」という今の気持ちに偽りは無い。その気持ちは言葉で伝えた方がいい。近いニュアンスで言葉を選ぶなら「もっと一緒にいよう」である。

女だって、未来のことなんてわからない。でも「愛してる」というコトバを期待する様に「ずっと一緒にいよう」というコトバにも期待している。「一緒にいたい」といういまの気持ちを「ずっと…」というニュアンスで表現してもらいたいのだ。「もっと…」という表現でもウレシイが「ずっと…」に比べれば物足りないし未来への不安材料となってしまう。しかし、これは「愛してる」と言ってはいけないのと同じ理由で「ずっと…」も言ってはいけない。女は言うだろう「私を安心させて」と。そこには「ウソでもいいから」という切ない想いが込められている。ここは正直に「ウソはつけない」と言ってしまおう。

いま「一緒にいたい」という気持ちにウソはない。だけど十年後も同じ気持ちでいるかどうかはわからない。だからこそ今の気持ちを大切にして「もっと一緒にいたいんだ」と言おう。最後まで女は納得できないだろう。しかし、それが現実なんだと自分に言い聞かせる。そして期待感が無限に膨張する気持ちを抑制するだろう。女に過剰な期待をさせてはいけないのだ。「いつか別れる時が来る」という覚悟をさせておかなければならない。これはジゴロ流の思いやりである。その覚悟さえあれば、いざ別れが訪れた時に、心の傷を最小限に食い止められるからだ。

【10】彼氏になるな

ジゴロは彼氏ではない。ましてや婚約者であるはずがない。ジゴロはどこまでいってもジゴロのままである。「愛してる」とも「ずっと一緒にいよう」とも言わず、フィアンセでも彼氏でもない男、それがジゴロなのである。安心材料が、未来を保証するものが、何ひとつない男である。しかしその男とは、カメの歩みで積み重ねてきた歴史がある。命がけで気持ちを理解してくれている。「愛してる」という次元を超えた強い絆も感じる。そして夢を共有している。そう、夢を共有しているのだ。

これが実現すれば、少なくとも今よりもっとシアワセになれるのだ。今はこれに賭けるしかない。この先どうなるかわからなくても、現実に目の前にある目標は夢の実現なのだ。他に選択肢はないのか?まったく無いわけではない。しかし今はこの男を失いたくない。他の選択肢なんか考えられない。がんばって自分の役目を果たすしかないのだ。

彼氏ではないジゴロという距離感が、すべての面で有効に作用するのである。これがもし彼氏ということになれば、途端に状況は一変する。早い話し「男だったら働け、そして女をシアワセにしろ」というごく普通の発想に落ち着いてしまうのだ。こんな考えでは、ジゴロのパートナーとしていい関係を築くことはできない。女をパートナーとして育てるのは、ジゴロの役目である。安易に彼氏などというポストに落ち着いてしまってはならないのだ。ジゴロはどこまでいってもジゴロのままだ、というスタンスを貫き通さなければならないのである。

このスタンスを別の角度から見れば、明らかに逃げ腰になっていることがわかる。男にはいつでも女から逃げ出せる万全の準備が整っているのだ。たとえば妊娠などの何か困難な局面に遭遇した時、2人で共に苦労をしてその危機的な状況を乗り切ろう、という覚悟がこの男の言動にはまったく感じられない。何かあったらこの男はさっさと逃げ出してしまうかもしれない。この不信感は最大の不安材料となる。まったくその通りだ。

ジゴロには、たった1人の女と心中する覚悟なんて無い。そしてそれを隠す様な態度もとらない。これはジゴロの本音である。たしかにその女を真剣に愛している。この気持ちに偽りは無い。だから少々の困難なら一緒に乗り切ろうと努力する。しかし、その困難の度合いが一線を越えた時、ジゴロは我が身を犠牲にしてまで女を守ろうとはしない。女は、この渇いた現実を受け入れざるを得ないのだ。

しかし、このスタンスこそ、人間が本来持つクールな本質である。女のために命まで捧げる浪花節を地でいける硬派な男が現実にどれだけいるというのか。既に子孫を残した父親ならば、母子のために命を捧げたとしてもうなずける。しかし単なるツガイの片方がピンチだからといって、もう片方のツガイが自らをどこまで犠牲にできるというのか。現実は映画やドラマほどカッコイイものではない。ジゴロは、その冷たくて厳しい現実をウソで飾ることなく容赦なく女に突きつけているだけである。心地よい夢の世界を演出するだけが真の優しさではない。その事実を、女はジゴロを通して知ることになるのだ。

とはいえ、好きな男からはウソでもいいからもう少しマシなセリフを聞きたいのが女心である。ほんとにこの男は女心というものがわかってないと感じることだろう。しかし、ここがジゴロと一般人とのボーダーラインである。情にまかせて上っ面の耳障りがいいだけの優しいコトバをかけてはいけない。それを言った瞬間、今まで積み上げてきたジゴロとしての距離感が崩れ落ちるだろう。非情に冷徹な態度を貫くこともジゴロにとっては重要なファクターである。

ヒモになる方法
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